カナダ バンフスプリングス PART 1

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1枚目:大自然の要塞 BANFF SPRINGS GC 429Y P4
2枚目:BANFF SPRINGS HOTELとNO.14グリーン
3枚目:今回のカナダゴルフ探検隊メンバー(筆者を除く)
ALL Photos by T.SHIMAZU

9月のカナダは日中は快適ながら、朝晩はどこへ行ってももう寒い。カナディアンロッキーを眺む標高1,600Mのここアルバータ州バンフスプリングスは尚更だ。残り少ないシーズンを惜しんでか、月曜日だというのにブッキングはフルに近く、前日慌てて取ったティータイムはナント午後3時40分。

冷たく澄み切った空気の中を強烈な斜光が、高く濃密なLODGE POLE PINEの間から差し込み、長い影が幻想的な雰囲気を醸し出してきた14番ホールに辿り着いた頃時計の針はもうとっくに7時を回っていた。

そしてボク達カナダゴルフ探険隊一行4名はバンフスプリングスホテルとコースが創る大自然と歴史の圧倒的景観の前にしばし呆然となった。

小高い丘の上に中世のヨーロッパの古城をモディファイしたという、1888年創業のバンフスプリングスホテルは、その後数億ドルにも及ぶリノべーションを繰り返し客室数約800室のフェアモントホテルとなった今でもその偉容は燦然と輝いていた。

フェアウェイの無数のマウンドやバンカーにそして高い針葉樹に囲まれて、グリーンとピンフラッグが一体化してそびえ立つ様は、難攻不落のまさに要塞。これ程視覚的に尊厳性を体感させられるホールは世界中探しても数少ないだろう。まるで「鎧や甲胃を纏って手押しの大砲で古城を攻めろと言うのか!…。」そんな気分にさせられる光景だ。

後にDONALD ROSS やR.T.JONESとアメリカゴルフコース設計家協会の発起人のひとりとなったカナダ人のトップアマSTANLEY TOMPSON(1894~1952)の恐るべき想像力と、コース建設に史上初めて当時の100万$の巨費を投じて(ミリオンダラーコース)1927年に開場させたカナディアン鉄道の先見性に改めて敬服。

軽い右ドッグレッグホールなのでティーショットはフェアウェイ左サイドのベストポジションに放ったものの、右サイド前方からの斜光が余りにも強烈なのでゴーストやフレアーを避けるために右の高い樹木に添って身を潜めて前進しながら、カメラのベストショットポジションを探す。左サイドのボクのボールは当然ピックアップ、スコアカードのこのホールには[P]と記そう。

100ヤード付近にカートを停めて流れる雲の様子と相談しながらシャッターを押し続けること十数分、当然後続の2組目もパスさせようとすると、

「日没が心配です。次のホールへ進みましょう!」と同行VTRスタッフから声がかかる。

「えっ、次のホール?」

「だって、まだ14番ですよ!」

この景観と感動はどう考えてもフィニッシングホール!
ゾーンに入ってショットを続ける内に、ボクはこのホールでホールアウトするものと確信してしまっていたのだ。

でもこの謎はすぐに解けた。ナント開場の62年後、1989年に9ホールを増設して全27ホールとした設計家BILL ROBINSONは新クラブハウス建設にあたって、それまでのフィニッシングホール18番を14番に変更したという。
全く余計なことをしてくれたものだ…(笑)。

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モントレー半島はアメリカゴルフの聖地です。 PART 4 美しきコースの数々 「もっとゴルフを!」

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THE LINKS AT SPANISH BAY 1st / POPPY HILS GC 3rd / ASATIEMPO GC 1st
ALL Photos by T.SHIMAZU (APRIL ’99)

さて270室からなるもうひとつのホテルが隣接されたTHE LINKS AT SPANISH BAY(18H 6,820Y P72 C/R74.8 1987年開場)にも触れておこう。

近代ゴルフの発祥がスコットランドであり、全英オープン開催のコースは全てリンクスコースであることはご周知の通りであるが、R.T.JONES JR.とS.TATUM(USPGA)それに全英オープン5回優勝のT.WATSON と3人の合作になるこのコースは、フェスキュー芝を多用するなど、彼らも憧れの、スコットランドリンクス風にアレンジすることにこだわり過ぎた。マッケンジーがサイプレスポイントで 、ジョーンズ・ジュニア がスパイグラスヒルで、この地独特の海と陸の出会いを見事に生かし切っているのに対し、ラウンドもしてみたがシャッターチャンスは少なかった。バーディーチャンスは結構あったのだが…。

日本国内にも内陸にフェスキュー芝や無数のマウンドを持ち込んで無理矢理リンクスの雰囲気を模倣するデザインも散在するが、リンクスはリンクスにあってリンクスとして後世に残り続けるものであり、その土地の自然環境、即ち空や海や樹木の色・香り、人を含む生態系、そしてその醸し出す雰囲気、歴史的必然を繊細なる感性で嗅取って活かし切ることこそ設計の基本の妙味。井上誠一氏や上田治氏の作品が経年すればする程味が出てくるのは、そういう意味で「木」で出来た家に棲み、自然との共生を大切にしてきた民族、日本人の感性の結果なのかもしれない。

同じジュニアの作品ならボクはむしろPOPPY HILLS GC(18H 6,850Y P72 C/R75.2 1986年開場)が好きだ。モントレーパインの高い樹木がコース全体を覆い、絶妙な形にアレンジされたバンカーとフェアウェイの自然なアレジュレーションが球趣を彩っている。

ホテルから30分とちょっと離れるがRANCHO CANADA GC(EAST 18H 6,109Y P71 WEST 18H 6,349Y P71 1970年開場)も楽しい。樹齢数百年を数える杉の大木でセパレートされた東・西36ホールズは、1ラウンド50~60$でOK、ペブルビーチ周辺のコースが200~350$(1.0Rカートフィー含む)に比べて格別に安い。

マッケンジーの名作CYPRESS POINT CLUB(18H 6,536Y P72)は残念ながら、全米に散らばる270人のメンバーのための完全同伴コースで(年間入場者数は2~3,000人とか)、日本人にはオーガスタよりもっと門戸は狭い。同じマッケンジーなら車で50分のPASATI EMPO GC(18H 6,483Y P71 1929年開場)ならプレイ可能だ。無数のヨットが浮かぶサンタクララ湾を見下す美しいスターティングホールが見事だ。

落ち着いた佇まいの瀟洒な芸術の街、カーメルも楽しい。アンティークや、和食のお店もあって一度は訪れてみたい。

「MORE GOLF!」

モントレー空港まで乗った地元の女性タクシードライバーが、別れ際にそう言って優しく微笑んだ。

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モントレー半島はアメリカゴルフの聖地です。 PART 3 スパイグラスヒル ”ロバート・トレント・ジョーンズと息子達”

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SPYGLASS HILL 2nd / SPYGLASS HILL 15th / SPYGLASS HILL 16th
ALL Photos by T.SHIMAZU (APRIL ’99)

風が出てくると4月だというのに結構寒い。考えたら昼飯も取らずにもう2時半か?
日没までもう1コースは押えたい。慌てて次の目的地シャトルバスで5分程のスパイグラスヒルへ向う。

1940年代からその革新的設計技法を通じて後世のパーマーやニクラスに多大な影響を与え、世界中に約400コースの業績を遺した ROBERT TRENT JONES はここモントレー半島でも燦然と輝いている。スパイグラスヒルは自ら設計に携わりスパニッシュベイとポピーヒルズは長男 R.T.JONES Jr.の作である。何と偉大な父親なのであろうか、何と幸福な親子なのであろうか!
弟の REES JONES は主に東海岸に、西海岸とアジアは長男に委ねて親子3人で世界中の至る所に至福の業績を遺している。

SPYGLASS HILL GC(18H 6,810Y P72 C/R76.1 1966年開場)

砂丘のフロントナインは〝パインバレー〟を、森のバックナインは〝オーガスタ〟をイメージしたという、メリハリの効いたコンセプトの振り分けが見事だ。
スターティングホールは高い松林の回廊を左に軽くドックレッグさせながら打ち出していく美しいホールだが、森を抜けると豹変する。3・4・5番と海岸沿いに出ると風がハンパじゃない。荒涼とした鉛色の太平洋を背景に、黄色いピンフラッグが折れそうな位撓っている。いつもこんなに強い風なのだろうか。とにかく砂丘の一部に緑のカーペットを敷き詰めたようなコースなので、灌木も低くまさに吹き曝しとはこのことだ。これはスコットランドのリンクスというよりはむしろ北アイルランドの光景なのか?
インコースに入ると様相は一変する。
あれ程の強風がモントレーパインの密集した森に囲まれて静まり返り、木々の隙間からこぼれる斜光の影が格別にシャープで美しい。ティーインググランドとグリーン回りに豊富に樹木を残して絵を固めながら、フェアウェイは決して狭くない。先月、北海道の〝桂ゴルフ倶楽部〟の項でも触れたがジョーンズファミリーはティーインググランドの高さをとても大切にしている。マーク別に高さをたっぷり取ってホールのタテアングルの視界を良くして、ボールの打ち出す方向と高さ、それに玉筋をより効果的に暗示する、まさにジョーンズ親父の絵だ。オーガスタの撮影した時もそうだったが、思わずカメラをタテ位置にして構えたくなる衝動に駆られる。

あっ!フェアウェイの鹿がこっちを見ている。もう少し寄りたい、でも逃げるかな?
あと3歩前進してくれたら、顔に光が入るのに…。

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モントレー半島はアメリカゴルフの聖地です。 PART 2 ぺブルビーチ・ゴルフリンクス ”大地と海の究極の出会い”

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1枚目:PEBBLE BEACH 7th
2枚目:PEBBLE BEACH 7th(後方にカーメルビーチが広がる)
3枚目:PEBBLE BEACH GL 18th
ALL Photos by T.SHIMAZU (APRL ’99)

「今日のティータイムは15:00までフルだ。」というスターターに事情を話し、記念オリジナルグッズ満載の向かいのプロショップで100$払って2台のカートを借りたスタッフ一行3名は、コースインスペクションを兼ねてまず1番ホールからコースチェックだ。

この時ボク達はオーガスタのマスターズ観戦後、東海岸のオーランドからモントレーに入ったのだが、TPCソウグラスやディズニーワールド・パームコースなどは撮影条件が厳しく悔しい思いをしてきただけに、西海岸のこの気楽さがやっぱり嬉しい。

設計者のJ.ネビールがロングアイアンの名手だったらしく、小さくそして
POA ANNUA(通称 スズメのカタビラ)のグリーンはどうみても難しそう。時間は前後するが、昨年の全米オープンのタイガーは何故あんなに入りまくったのだろう(2位と5打差の12アンダー)。他の選手はボールがポコポコ跳ねているのに、VTRを何度見ても彼のヒットしたボールだけがライン通りに伸びている。
ストロークの技術なのか、ボールと芝種の相性なのか、パターフェイスとボールのマッチングなのか?
このグリーンを眺めていたら思わずタイガーにインタビューしてみたくなった。
でも彼はきっと微笑んでこう答えるだろう。
「あの日はたまたま神様が僕を祝福したかったんだよ」って。

PEBBLE BEACH GOLF LINKS(18H 6,799Y P72 C/R75.0)

1908年24才で初めてこの地を訪れた、若き事業家SAMUEL MORSE(1969年没)は
「大地と海の究極の出会い」(THE GREATIST MEETING OF LAND AND SEA)モントレー半島の美しさに震感、デルモンテの森に世界的リゾート建設の夢を見た。自ら5,300エーカーの土地を取得、既に開場していた第2のデルモンテゴルフコースとして当時のトップアマ、J.ネビール・D.グランドに設計を委嘱、1919年6,020Y P73のコースとして完成させた。
その後1926年にサイプレスポイントの設計で来米中のA.MACKENZIEが8・13番を、1929年には全米アマ開催を控えて C.EGANなど幾多の改造がなされた。昨年の全米オープンでは懸案だった5番ホールがJ.ニクラスの手により完成、右サイドに断崖絶壁が迫る美しきパー3ホールになった。

‘80年代後半には一時日本資本のものとなったが、カーメル市長を勤めたクリント・イーストウッドやアーノルド・パーマーが中心となって財団を結成、アメリカの偉光をかけて日本資本から取り戻して、2000年には全米オープン第100回記念大会が開催された。

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